【創作】小話:かごのなかのとり

「あたし、そろそろ家に帰ろうと思う。」

ゆったりとくつろげる広さのベッドで、裸の男女が二人。
情事の後、そのままベッドの上でゴロゴロとしていたあたしは、おもむろにそう告げた。

裏路地にあるバーで一人でウイスキーを嗜んでいたところに、近くに座っていた男性に声をかけられた。
体のラインが映えるような細身のスーツを着こなした好青年。
よくこういう出会いが少女漫画で描かれているが、まさにその漫画に出てくるような爽やかなイケメンだ。
話を聞いていると、どうやら資産家のご子息らしい。
こんなハイスぺ男子って本当にいるんだ…と、一瞬夢を疑ったので自分のほっぺをつねったりして確かめた。

「僕なんかがこんな事言っちゃいけないんだろうけど、逃げだしたいんだ。」

ウイスキーのグラスに視線を落としながら、男性は言った。
資産家の跡取りとして親から期待されているようで、窮屈な人生を送ってきたという。
病弱でベッドで寝たきりの兄が一人いるが、とても優秀な人らしく、正式な跡取りは彼になるだろう。
体が弱いのでもし兄に何かあれば次は…ということで、『兄の代わり』を努めなければならないようだ。

「家のこととか兄のこととか、全部忘れてどこか遠くに行きたい。」

誰かに向けて伝えているわけでもなく、まるで自分自身に言い聞かせるように彼は静かに語る。

「行っちゃえばいいんじゃないかな。もし一人が不安ならあたしも付き合ってあげようか?」

お酒も入っていたし、半分冗談のつもりで言ったんだけど、そのままあれよあれよという間に事は進み、今いる場所も良く分かっていない状態で男女の関係に至る。
朝から晩まで――というわけではないが、どちらかが求めたらそれに応える…という感じで、丸二日を過ごした。
いくら独り身とはいえ、今まで生活していた場所があるし、無職でもないので職場にもいい加減顔を出さねばなるまい。

「キミの職場には、僕の方から長期休暇の申請を出しておいたよ。」

だから誰かに探されることもないし、余計な心配をする必要はないから安心して――。

遠く、窓の外を眺めながら彼は言った。
こちら側から彼の表情を正確に判断することは難しかったが、薄っすら微笑んでいるようにも見える。
でもその表情とは裏腹に、彼の口調はひどく冷たく突き放したようなものだった。
優しい言葉を使ってはいるが、あたしが考えることを拒むような…そんな感じ。

なに勝手なことを――と一瞬思ったけど、不思議と怒りよりも諦めの感情の方が強かった。
なんとなくそんなことになるような気さえしていた。

いつか、あたしも「逃げだしたい」というのだろうか。

そんなことを漠然と考えながら、また彼と身体を重ねた――。

タイトルとURLをコピーしました